いのちに寄り添う
患者さん本位の医療を

宮城県気仙沼市 小林直樹眼科

3代続く医師の家系に、小林直樹院長は、長男として生まれた。眼科開業医の父を見て育ち、物心つくと同時に「医師になる」との思いが芽生えていた。父の開業地は、福島県南相馬市だったが、中学校入学を機に、より勉学に集中できる環境をと、母と二人、実家を離れ宮城県仙台市に移り住む。その矢先、母に末期乳がんが見つかった。それでも母子は仙台に踏みとどまる。

「母が入院中には、まかないさんを頼んだり、下宿住まいをしたり。父も週に一度は足を運んで励ましてくれ、母は手術や抗がん剤などあらゆる手を尽くし治療を続けました」と小林院長は遠くを見るように目を細めて述懐する。

告知から10年、息子が医学部5年生となり、医師への道が整えられていることを見きわめてから、母は逝った。

小林院長は、「眼だけを診るのではなく、眼を通して、全身の疾患も見逃さないように配慮しています。一人ひとりの患者さんが人生をより良く生きてもらえるよう、お手伝いをしたいと思っています」と噛みしめるように語る。

HISTORY

自分の理想の医療を実現するために開業

地元の設計・施工業者とともに自院のイメージを形にする

幼い頃から、医師となったらいずれ父の医院を継ぐのだろうと、漠然と思っていた小林院長。しかし、実際にそうはならなかった。東北大学眼科学教室に入局してしばらくした頃、父親が体調を崩し、「南相馬に戻ってこないか」と打診があったが、ちょうどその頃、院長は医学博士号取得のため、虚血網膜における酵素活性の実験・研究に力を注いでいた。

「研究も臨床も面白くて仕方のない時期。今ここで大学を離れたらきっと後悔すると思いましたし、半端な気持ちで戻ったら、南相馬の患者さんに申し訳ないと考えました」。実家の医院は、同じく眼科医となっていた弟に任されることとなった。

学位取得後は、関連病院で臨床の最前線に立ち続け、眼科領域のあらゆる手術を経験。数年が経って、「勤務医として自分自身納得のいく仕事ができたと考えるようになっていました。恐らく機が熟したのですね」と言う院長。開業の二文字が自然にその胸の内に宿るようになっていた。

幾つかの開業候補地の中で思い入れが最も深かったのが、宮城県気仙沼市である。「気仙沼は妻の地元。彼女が気仙沼市立病院の看護師をしていたとき、私が勤務医として赴任しました。勤務地が変わった後も、妻の実家を訪れる度に、その素朴な土地柄と、人々の温かみに惹かれていきました」

あまりに近しい場所だったためか、当初猛反対だった奥様を説き伏せて、開業地を気仙沼と決定。「当時は本当に道路と電信柱の他はなんにもないところでしたが、この場所に立ったとき、光と風、そして自然の息吹が肌身に感じられ、『こんなところで患者さんと向き合いたい』と感じました」という。

気仙沼は、人と人のつながりが濃密で、一体感が強い。そんな地域だからこそ、開業前から溶け込めるよう、設計も施工も、地元の業者に依頼した。

外観や内装、レイアウトなどは、院長自らスケッチを描いて、それを設計士が図面に書き起こす。この作業が、双方納得するまで、幾度も繰り返された。いよいよ施工が始まると、今度は週に一度、院長と施工業者が、杯を酌み交わしつつ、互いの夢を語り合った。

まさに地域の人たちと一緒に創り上げた小林直樹眼科は、こうして2003年2月1日、開業の日を迎えた。

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CONCEPT

光と風が吹き抜ける安心の医療空間を提供する

導線、レイアウト、診療すべてが患者さんのために

開院当日。午前中のみの受付だったが、その間60名以上が来院した。

「 気仙沼の人は、とにかく好奇心旺盛で、新しいものは試してみる。ただし、評価を下すのも非常に早く、生半可な医療をしていたら、患者さんは離れてしまう」と話してから、「12年間、患者さんの数で悩んだことはないので、どうやら受け入れられているのかもしれません」と、院長ははにかんだ。

小林院長が何度もスケッチを繰り返して表現しようとした自院のイメージ。それは、「この場所に立ったときに感じた、光と風と自然の感じられるクリニック」だ。特徴的なエントランス部分は、自然光がたっぷり注ぎ込むガラス張りで、外壁の周囲には緑の木々やごろりとした石が配された。ぬくもりある色調の院内に、柔らかな陽の光が差し込むと、木漏れ日の中にいるようなほっとした気分になる。「子どもからお年寄りまで、安心して集まってほしい」という思いが形にされている。

「医療機関は、患者さんやその家族のいのちに寄り添う存在。対応いかんでその人たちの人生を左右しかねない。だからこそ患者さん本位を徹底したい」というのが診療面でのポリシーだ。たとえば院長は、耳の遠いお年寄りを診察する際、ハンズフリーのイヤホンマイクを使って語りかける。またスタッフは、疾患や病態に関するオリジナルツールを数多く自主的に作製。わかりやすい説明を徹底して心掛ける。「誰に教えられたわけでもないのに、みんな、患者さんの傍らに座して、同じ目線、同じ気持ちで語りかけています」と院長。

医療機器は、自院でできる限り治療を完結できるようにと、病院にも匹敵するほどの高度なものを揃えている。もちろん、クリニックで対応できない難治性の高い患者さんや、全身性の疾患が見つかった患者さんなどは、東北大学病院や仙台医療センター、気仙沼市立病院、大崎市民病院など、太いパイプのある基幹病院にすぐさま紹介できるシステムを整えている。「患者数に悩んだことがない」のは、こうした患者さん本位の姿勢が自ずともたらした結果なのだろう。

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EDUCATION

感謝とともに厳しさを持って教育する

挨拶、返事、連絡、確認を通し医療安全を徹底する

妻の実家があるとはいえ、自らはそこに根を下ろしたばかり。開院当初はこの地域の患者さんとどう接すればよいのか戸惑いの連続だった。小林院長との間に立って潤滑油の役割を果たしてくれたのが地元生え抜きのスタッフたちだ。「みんなには感謝の言葉しかない」と言いながらも、「私はスタッフにとても厳しい」とも。厳守を求めるのは、挨拶、返事、連絡、確認の4点だ。

挨拶は、朝礼での「おはようございます、今日もよろしくお願いします」に始まり、昼休み前、午後の診療前、診療後の「今日もありがとうございました、明日もよろしくお願いします」まで、1日4回全員で行っている。

「医療安全は漫然としていては手に入りません。挨拶を交わし、互いの言葉に応答し合い、連絡を怠らず、しっかり声に出して確認することで、メリハリができ、緊張感が醸成される。それが医療安全の礎だと考えています」

また、月に1度は、看護師会議、事務会議、コンタクトレンズ(CL)会議を開き、部門別に注意すべき点や良かった点、ヒヤリハット事例などを報告する。さらに半期ごとの全体会議で、業務内容を総合的に検討し、次の半期の目標を設定するなどしているそうだ。

「どうしたらもっといい医療機関になれるのか。私だけが考えるのではなく、みんなで考え、実行する。私ががみがみ言うから、スタッフのみんなは大変だと思いますが」と笑うが、開院時からのスタッフもしっかり残る。思いが通じていることの証左だろう。

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VISION

震災を超えていのちに寄り添う医療を

自院のレベルを少しずつでも高め続けることが何より大切

順調に地域に溶け込んでいた小林直樹眼科を、文字通り大きく揺るがせる事態が起きたのは、2011年3月11日のこと。東日本大震災の発生だ。

午後の診療が始まったばかりの医院をマグニチュード9.0の巨大地震が襲った。日頃から地震避難訓練を実施していたため、スタッフの的確な指示で患者さんたちはガラス戸から離れて中央に固まるように身を寄せ合った。小林院長は「よだ(津波)が来る!高台に避難しろ」と命じたという。

海岸線まで約2㎞。幸いクリニックが波をかぶることはなかったが、水はすぐそこまで押し寄せていた。スタッフも半数が家を流されて、家族の安否さえ不明という状況。それでも午前中は医院に集まり患者さんのために働き、午後は身内の捜索のために走り回る。

「被害を免れた医療機関には必ず患者さんがやってくる。その方たちを収容して、診察し、できるかぎりの処置をすることが私たちの役割です」と院長は表情を引き締める。スタッフの誰もがその重大な責務を認識していた。

震災から3年半が過ぎたが、「ついこの間まで仮設住宅から通っていたスタッフもいます」という小林直樹眼科にとって、真の復興はまだ遠い。

震災後、同院では発電機を購入し、蓄電システムを構築。ガレージを改築して食料などの備蓄も行うことにした。
「まずは地域のために自分たちができることを粛々と進める」という小林院長。自院の医療レベルを少しでも向上させていくことが、今、為すべきことの第一と考えている。昨年、硝子体手術のための最新医療機器を導入した。「遠くの基幹病院に足を運ぶ患者さんの負担は大きい。短期入院で可能な硝子体手術の適応例は、自前で施行したい」と力を込めた。

すべては患者さんのため。小林直樹眼科の挑戦は、片時も休むことなく続いている。

  1. 光と風、木々と岩をモチーフにした小林直樹眼科の外観は瀟洒なギャラリーのよう。暗くなると優しい光が街路に漏れだしてくる
  2. 木漏れ日の中にいるような待合。開院当初は、まるでピクニックのように、ここでお弁当を広げる患者さんもいたという
  3. いつも笑顔をたやさないスタッフ。みな地元気仙沼の出身だ
  4. どことなく温かみのあるトイレのピクトグラム。実は小林院長の手作りだ
  5. 「これまでに数え切れないほど作った」(スタッフ)という指導用ツール。「病気のことが理解できた」と患者さんからも評判だ
  6. 装着の際の手洗いから、レンズのこすり洗いなど、CL の扱い方については時間をかけて丁寧に指導する
  7. 院内にさりげなく置かれた復興祈願のお地蔵様
  8. 「 とにかくきちんとわかるように説明する」とコミュニケーションを重視する小林院長

MESSAGE

危機管理意識を持つことも医療機関の大事な責任

東日本大震災では、直後から、「家も眼鏡も何もかも流された」「コンタクトレンズがほしい」と訴える、全身びしょ濡れの患者さんたちが来院されました。ライフラインが崩壊して電気が使えないので、明るいうちは遠くを見てもらって視力を測定し、また充電式スリットで検眼するなどして、当面必要な数枚を無償提供していました。大規模災害はどこでも起こり得ます。震災から3年以上が経ち、被災地以外では徐々にその記憶が遠くなってはいますが、起こってから対応を考えるのではなく、日常診療を行いつつ、何を備え、どう対応するか、つねに危機管理を意識しておくことが大切です。

小林直樹 院長 Naoki Kobayashi

1988年金沢医科大学を卒業し、同年東北大学医学部眼科学教室に入局。1995年に日本眼科学会専門医を、1997年には東北大学にて医学博士号を取得。東北大学病院および関連病院で眼科臨床の第一線に従事する。東北大学病院では、主に神経眼科、糖尿病科外来を担当し、手術においては未熟児網膜症、白内障、緑内障、網膜剥離、糖尿病性網膜症、外傷、角膜移植、眼腫瘍切除、眼科形成外科など眼科領域全般を施行。2001年には糖尿病専門医とともに『糖尿病療養指導スタッフマニュアル』(医歯薬出版株式会社)を執筆。2003年2月1日小林直樹眼科を開院し、現在に至る。

CLINIC DATA

診療内容
眼科全般、眼科手術、眼鏡処方、 コンタクトレンズ処方
所在地
宮城県気仙沼市東新城3-10-8
診療時間
8:30 〜12:00 14:00 〜17:00
休診日
土曜日午後、日曜日、祝日、 第2・第4土曜日 (火曜日手術、木曜日午後検査のみ)
スタッフ
9名:医師1、看護師3、 眼科コメディカル3、事務2
病床数
3
外来患者数
150名/日
手術件数
約400件
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