元気な気持ちになってもらいたい。
合言葉は、つねに口角を上げて。

岡山県岡山市・高島眼科

幼い頃、母に連れられて行った絵画展で、まるでクマさんのように大きくて、ぽかぽかとしたオーラを発する画家が佇んでいた。(あの人、目の健診で学校に来るお医者さんじゃなかったかしら。病気を治しながら素敵な絵も描くなんて、すごい……)。それが、高島眼科の吉武秀子院長が眼科医に抱いた最初の印象だったという。そんな幼児期の刷り込みが、長じて眼科を選ばせたのでは、と問いかけると、「いえ、本当になりたかったのは外科医。でも血のにおいが苦手で、消化器外科の臨床実習で手術介助を任されたとき、私、意識を失ってしまったんです。まさに不覚」と、口の端をわずかに持ち上げ、接するこちらまでが楽しくなってくる、あたたかな表情で笑った。

その後、眼科の臨床特別講演で、当時まだ一般的ではなかった硝子体手術の映像に感動し、この道に進むことを決意したそうだ。そう語りながら、「単純で熱しやすいんです」と、また笑顔。包み込むような雰囲気は、吉武院長が初めて出会ったという、その眼科医のイメージとどこか重なっている。

HISTORY

仕事と子育てを両立するための苦肉の策

近隣に眼科がない好立地にクリニックを開業

父は岡山大学工学部教授、母方の親族は多くが医師という家系。当時としては珍しく、女性も専門的なスキルを磨き、一生の仕事を持つべきだと教えられ育った。吉武院長が鳥取大学医学部に入学したのは1973年のこと。初日のオリエンテーリングでは「18歳の純情可憐な乙女です、と赤面ものの自己紹介をしてしまいました」と、微笑みつつ頬を赤らめる。

年次が進み、医学の知識と技術を身につけるかたわら、吉武院長は同級生の男性と運命的な恋に落ちる。「この愛こそすべて、と思い込んで、学生結婚に踏み切りました」。そのご主人は、吉武院長の開業から遅れること2年、高島眼科から10キロほど離れた地に、同一法人の岡山西眼科を開院することとなる。

院長は医学部卒業後、京都大学大学院で病理学を専攻していた姉の勧めもあって、同大学眼科学教室に入局。後に「夫が東京の病院勤務となり、私も医局の紹介で国立小児病院に移りました」

斜視弱視、先天奇形や未熟児網膜症などと悪戦苦闘する毎日。大変ではあったが、「子どものヴィジョンに関わるのはとてもやりがいがありました」と院長。「私自身に子どもが授かったのもその頃です」

病院附属保育園に赤ちゃんを預け、診療の合間に授乳。「周囲の方々に助けられての子育てでした」と振り返る。さらにその翌年には二男が誕生。「主人は地方の病院に単身赴任に。さすがに年子2人を育てながら、勤務医を続けるのは大変でした」。不思議と仕事をやめるという選択肢は思い浮かばなかったというが、それでも、心身ともにもはや限界に近づいていたとき……「岡山の父から『うちの近所に眼科がなくてみなさん困っている。開業したらどうか』と誘いがあったんです。娘に帰ってもらいたかったんでしょうが、私は父の言葉に『そうか、開業なら仕事と育児を両立できる』と目から鱗。一も二もなく飛びつきました」

実家から2キロほどの県道沿い、最寄りの高島駅からも徒歩約10分の好立地に適地が見つかり、「大きな借金を抱えることになりましたが、何とか無事に船出できました」

1987年2月1日、開業。前日に誕生日を迎えた院長は弱冠32歳で、2人の息子さんは4歳と5歳だった。

このページの上へ

CONCEPT

患者さんに元気を与えるクリニックでありたい

モットーやコンセプトは全部患者さんに教えてもらった

クリニックの建築は、実家を設計した建築家に依頼。「医療施設の設計は初めてということでしたが、かえって医院という枠組みにとらわれない、新鮮なスタイルとなりました」

白い柱が印象的な、どこか古代ギリシアの建造物を彷彿とさせる美しい外観は、いくつか描いてもらったデザインの中から院長が選んだもの。また院内レイアウトは、医療施設の設計経験がない建築家に代わって、院長のアイデアが忠実に図面に写されていった。

その院内は、ほとんど間仕切りのない、非常に開放的な空間である点に特徴がある。じつは、診察台に向かうと、同時に検査室全景や中待合、受付、待合室、さらには外を行き交う人の流れまでも見渡すことができるのだ。

待合の様子を見ながら診療のペースを変えられるし、スタッフへの指示も出しやすい。結果として効率の良い患者さん本位の診療につながります」

今や外来患者数は1日平均80名に達し、2つの診察台を行き来しながら診療するほど忙しいが、開院当初の患者は1日わずかに10~20人程度。「スタッフ5人でスタートしたのですが、トランプ遊びができるくらい暇でした」と、洒脱な喩えで、当時の厳しい状況を説明する。

「眼科がほしいという住民の声に応えるという大義名分はあったものの、開業の最大の動機は、子育てのため。高邁なコンセプトやモットーがあったわけではありません。さらに患者さん優先というより、子ども優先となってしまったのでしょう。当時、午後5時半には診療を終えていました」

これを午後6時まで延長したところ、徐々に患者が増えてきた。加えて、土曜日の午後5時半まで診療していたことも、患者増につながったという(現在は午後3時半まで)。

「最近は土日連休の会社が多いようですが、80年代、土曜は半ドンというのが一般的。夕方まで診療するとビジネスマンが通ってくれるようになりました」

患者が増えるにつれ、患者から教えられること、鍛えられる機会も次第に増えていった。診察台から見える患者の振る舞いやスタッフとの触れ合いも、吉武院長の心に少しずつ何か大切なものを刻みつけていった。やがて吉武院長は自院のモットーにたどり着く。「受診してくださった患者さんが、ほんの少しでも元気な気持ちになって帰ってもらえるクリニック」である。

このページの上へ

HOW TO MANAGE

まずは自分の仕事に自信を持つことから

小児領域やコンタクト指導など得意分野を強化して自信をつける

「患者さんに元気になってもらうには、私自身が元気でなければ。それには自信が必要です。そこで、関心のあった小児やコンタクトレンズなどの領域にこれまで以上の力を注ぎ、自信を持って取り組める得意分野にしようと思いました」

小児に関しては、「来院したお子さんが3歳以上なら必ず視力を測ります」。幼児の視力測定は容易でないが、「3歳までに弱視がわかれば治療できます。早期の発見で良い視力をつくるのが私の仕事です」と話す。

コンタクトレンズについては、「患者教育を重要視」しており、特に定期検査では「検査に来て良かったとメリットを感じてもらえるよう、きめ細かい懇切丁寧な指導を行います」

さらに、「患者さんに元気になってもらえるよう、私がすべきことをいくつか決めました」と、吉武院長。

一つが、患者さんが納得するまでとことん説明すること。「おかげで毎日診療が終わると、声がかれています」

もう一つは、必要な場合は速やかに専門の先生を紹介すること、だ。

「岡山大学の眼科医局出身でない者が岡山市内に開業したのは私が初めてと聞いています」とのことだが、「父が岡山大学に勤めていたことから、岡山大学そのものにとても親しみを持っていました。私は若くして開業したので地域の先生方の助けはなくてはならないものでしたし、当初から難しい症例は専門の先生にお送りしていました」と言う。その吉武院長は、今、県眼科医会理事。地域医療に欠かせない、揺るぎのない立場となっている。

このページの上へ

EDUCATION

笑顔で働ける職場環境をつくる

勉強会や報告会、合同研究会でモチベーションをアップ

患者の元気を引き出すには、スタッフも自分の仕事に自信を持たなければいけない、そのためには各人のスキル向上が必須、というのが院長の持論だ。そこで、週に1度、昼休みの時間に勉強会を実施。新人スタッフは眼科学の教科書を輪読し、シニアスタッフは専門誌などから興味のある話題を選んで発表する。受付スタッフも年金制度や保険など事務的なテーマに取り組んでいる。学会や研修会への出席も奨励しており、参加後はその内容を報告してもらう。3ヶ月に1度は、ヒヤリハット事例を検討して、改善策を話し合うそうだ。

さらに「3年に1度、夫が院長を務める岡山西眼科と合同で、学会形式の研究会を開催しています。準備は大変ですが、他院のスタッフの発表を聞くことは刺激になりますし、みんなわきあいあいと交流の輪を広げています」

また、年に2回、スタッフ一人ひとりと面談を行い、それぞれの希望を確認して、悩みがあれば相談に乗り、伝えたいことを話すという。

「私はたびたびスタッフに訊ねます」と吉武院長。「また受診したくなるのはどんなクリニック? どう声かけをしてもらったら元気になれる?どんな対応をしてもらったら素敵なスタッフだなって感じる? と。問いの答えは、『いつも口角を上げて仕事をしよう』ということなんです」

開業から26年。幼かった息子たちは、2人とも眼科医の道を歩み始めた。

「患者さんの抱いていた赤ちゃんがいつしか大人になり、今ではご自分の赤ちゃんを連れて来院されます。世代を超えて通ってくれるのは開業医冥利に尽きますね」と、やわらかな笑顔を絶やさず語る吉武院長。その口角は爽やかに上がっていた。

このページの上へ
  1. 高島駅から徒歩10分ほどの国道沿いに立つ高島眼科。白を基調とした瀟洒な外観が特徴だ。ロゴマークをあしらった看板は院長自身がアイデアを出して製作したものだ
  2. 「いつも口角をあげて仕事をしよう」が高島眼科の合言葉。受付スタッフもつねにニッコリ
  3. 診察台を2つ並べる独特のスタイル。一つの診察台で診療を終えると、院長自らが動いてもう一つの診察台で診療を始める。待ち時間を減らしつつ、患者負担も軽減するための工夫だ
  4. 院長が座る位置からは、患者さんやスタッフの状態が一目でわかる
  5. 同院の封筒は美大出身のスタッフがデザインしたもの。各人の持つ独自の才能を存分に引き出すのが吉武院長流だ
  6. 掲示板の案内やインフォメーションは、スタッフの手作りであたたかみを醸成。掲示内容は院長の指示によって、定期的に更新される
  7. 12名のスタッフ全員が女性。同院では福利厚生面や産休・育休などワークライフバランスにも配慮しており、現在1名が産休中だ

MESSAGE

患者さんと真摯に向き合いながら笑顔で診療する

患者さんにほんの少しでも元気な気持ちになってもらいたい。それが当院のモットーですが、そのために私がすべきことを整理してみると、以下の4つに集約されると思います。①患者さんが納得するまで徹底的に説明する、②正しい情報をお伝えするために勉強を決して怠らない、③必要とあらば即専門の先生にご紹介する、④患者さんに不安を与えないよう笑顔を〝標準装備”する……。書き出してみると当たり前ですが、32歳で開業に踏み切って26年、患者さんからいろいろなことを教えてもらううち、この当たり前のことをきちんと行うのが大切なのだ、とあらためてそう感じます。

吉武 秀子 Hideko Yoshitake

1973年岡山県立大安寺高校卒業。同年鳥取大学医学部入学。1979年同大学を卒業し、京都大学眼科学教室入局。京都大学医学部附属病院、倉敷中央病院、国立小児病院(現・国立成育医療研究センター)勤務を経て、1987年2月1日岡山市にて高島眼科を開業、現在に至る。岡山県眼科医会理事

CLINIC DATA

診療内容
眼科全般、眼鏡処方、コンタクト処方・指導
所在地
岡山県岡山市中区中井440-1
診療時間
9:00 ~ 12: 30 / 15:00 ~ 18:00(土曜日午後は 13:30 ~ 15:30 まで)
休診日
木曜日、日曜日、祝日
スタッフ
12名(医師1、看護師1、視能訓練士3、事務・他7※うち眼科診療補助者5)
外来患者数
約80名/日
このページの上へ